誰有《挪威的森林》日語原版或中日對照版本啊?跪求

2021-03-03 21:49:59 字數 5667 閱讀 7514

1樓:中華紅一號

去亞馬孫圖書**看看去 實在不行 找個日本朋友 給你郵過來

誰有《挪威的森林》日語原版或中日對照版本啊?跪求……!

2樓:手機使用者

中是對照沒見過,日語原版倒是見過,不過是掃瞄版的,忘了是在哪下的了。

求《挪威的森林》 日語原版掃瞄的pdf

3樓:李詩家

ノルウェーの森.pdf

(2.5m)

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4樓:奔跑的細細毛

分上下的 只能傳乙個附件

村上春樹《挪威的森林》《且聽風吟》的日文原版,pdf格式,謝謝。

5樓:麼麼

補充:①挪威的森林 (村上春樹著**)

《挪威的森林》是日本作家村上春樹於2023年所著的一部長篇愛情**。故事講述主角糾纏在情緒不穩定且患有精神疾病的直子和開朗活潑的小林綠子之間,了自我成長的旅程。自本書在日本問世,截止2023年在日本共銷出1500餘萬冊。

②且聽風吟 (日本村上春樹著**作品)

《且聽風吟》 是日本著名作家村上春樹創作的一部中篇**,發表於2023年。

《且聽風吟》是村上春樹**的語言風格、寫作技巧和後現代主義藝術氛圍的源頭與雛形,是作家從擺脫日文**文字平庸拖沓的理念出發,借鑑美國現代**簡潔明快的文風,所完成的**文字的革命性變革,是當代日本**精神和文學價值的重要體現。

③村上春樹 (日本著名作家)

村上春樹,日本現代著名**家,生於京都伏見區。畢業於早稻田大學第一文學部演劇科,亦擅長美國文學的翻譯,29歲開始寫作,第一部作品《且聽風吟》即獲得日本群像新人獎,2023年第五部長篇**《挪威的森林》上市至2023年在日本暢銷一千萬冊,國內簡體版到2023年銷售總量786萬,引起「村上現象」

其作品風格深受歐美作家的影響,基調輕盈,少有日本戰後陰鬱沉重的文字氣息,被稱作第乙個純正的「二戰後時期作家」,並被譽為日本80年代的文學旗手,其作品在世界範圍內具有廣泛知名度。

求《挪威的森林》的日語原文。

6樓:make匪

《挪威的森林》的日語原文如下:

「君が大好きだよ、ミドリ」

「どれくらい好き?」

「春の熊くらい好きだよ」

「春の熊?」と綠がまた顏を上げた。「それ何よ、春の熊って?」「春の野原を君が一人で歩いているとね、

向うからビロードみたいな毛なみの目のくりっとした可愛い子熊がやってくるんだ。

そして君にこう言うんだよ。『今日は、お嬢さん、僕と一緒に転がりっこしませんか』って言うんだ。

そして君と子熊で抱きあってクローバーの茂った丘の斜面をころころと転がって一日中游ぶんだ、そういうのって素敵だろ?」

7樓:愛麗絲蘋果

<主題分析の分析>

ハンブルグ空港に著陸直前の「僕」がビートルズの「ノルウェイの森」を聴いたことで直子の思い出がよみがえり、18年前へと記憶が溯る。この物語は過去の回想という形を取っており、それは死んでしまった直子を探しに出る旅であると解釈される(注)。この物語の面白いところは回想の中の直子と現在の「僕」が理解している直子の2つの人物が描かれていることで、この2つの像が統合されて初めて直子という人物を立體的に理解することができるようになっている點である。

「直子に関する記憶が僕の中で薄らいでいけば行くほど、僕はより深く彼女を理解することができるようになったと思う」とあるように(上巻、p.18)、現在の「僕」は18年前の直子も、そのときに理解できなかった直子の隠された一面(第一章で語られている回想部分に含まれる)も見渡すことができるが、18年前の「僕」は直子の一面しか理解することができなかったことになっている。これがこの物語全體を支えている構造であり、ここに直子を含む様々な人物の「死」がバックボーンとして組み込まれることで作品の各プロットを支えている。

(注) 村上春樹の**はほとんどが、実は死んだり消えたりしたかっての戀人を探しに旅出る物語であるとの指摘は既に田中実氏によりなされている。

田中実『読みのアナーキーを超えて』、右文書院(1997)

物語が回想の形で語られる性質上、18年前の登場人物のその後の様子が所々挿入の形で描かれている。それはハツミさんの死について最も効果的に使われていると思われる。「僕の多くの知り合いがそうしたように」ハツミさんは「人生のある段階が來るとふと思いついたみたいに自らの命を絕った」のである。

僕の多くの知り合いとは、もちろんキズキと直子も含まれるであろう。自殺の理由はそれこそもっともらしい說明をたくさん付けることは可能であろうが、作者は理屈でそれを說明することは敢えて避けているようなふしが認められる。登場人物が死ぬ、そしてそれが「僕」に少なからぬ影響を與える(親しい間柄の人間が死んだのだから當たり前だが)というモチーフを用いることで読者は「死」を「生」の対局として置くのではなくて「生」の一部として捕えるように強要される(これは「螢」で表されているモチーフと同一)。

直子の側から見た場合、自分の中に存在する「死」の要素に身を滅ぼされていく物語であるが、「僕」の側から見ると、「僕」が死に捕らわれ、そしてその捕らわれから救済される物語なのである。

「螢」ではよくわからなかった死の理由をこの作品から說明することが可能である。キズキの死については「螢」では全く說明不可能であったが、この作品では少なくとも直子との戀愛関係で悩んでいたのがその原因の一部である可能性がある(直子との**渉がうまくいかなかった旨の記述があるため)。ただし**渉がうまく行かなかった原因は直子の側にあるが、その理由は明確には語られていない。

ここで直子において肉體的な愛と精神的な愛が乖離してしまっていると単純には片づけられない。なぜなら「僕」との**渉は(1回だけだが)成功しているが、それにより直子が幸福になることはなかったからである。私は直子の中に死に向かって一直線に走る「何か」が存在し、それが直子の意識を捕えていたのだと解釈したい。

つまり、その「何か」がキズキを失望させ、僕との戀愛関係を失敗させ、直子自身を混亂させて死へ追いやったのである。ここでその「何か」は精神病の素質なのであろうが、この一言で片づけてしまうのをこの作品は許していない。なるほど直子は施設に入り**を受けている。

しかしそこに至るまでの過程と**中について作者は多くのページを割き、直子の気持ちの混亂を詳細に描いている點に注意を払うべきである。僕やレイコさんとのやりとりをしながら、浮き沈みをしながら直子がゆっくりと不可逆的に自殺に向かって進んで行くところがこの物語の中心であり、かつ直子を救いのないものにしている。そして救いのない點は僕の側でも同じであった。

それは上で述べたように18年前の「僕」は直子の重要な一面にアクセスできなかったばかりでなく、現在の「僕」はそれを見ることができると共に直子が自分のことを愛していなかったと悟るのである。ここで「現在の僕」は哀しさと同時に深い悔恨を覚えたに違いない。

「螢」では僕の友人の死が彼女に精神的な打撃を與えたと解釈した。しかしキズキの自殺の原因の一端が直子にあったとすれば『ノルウェイの森』では解釈が変わってくる。キズキの死の一端が直子の態度にあったとすると直子は深い罪の意識に悩んでいたに違いない。

それは直子を捕えていた「何か」の働きを強化し、結局は彼女をクライシスに追いやっていった。「螢」では「死」を意識させたのは僕の友人の自殺であり、「彼女」はいわばその犠牲者的な意味合いであった。しかし『ノルウェイの森』では直子の存在そのものが「死」と直結しており、直子に救いはない。

ところで、直子が「死」に直結した存在であるのと対照的に、綠は生のエネルギーをまき散らす存在である。綠の家庭は決して幸福ではない(母死亡、父も入院中で後日死亡)がその生活は生に満ちている。ブラジャーを買うお金を貯めて料理器具を買ったり、火事場を見學しながらビールを飲んだりとおよそ直子とはまるで違うキャラクターである。

「僕」は綠から付き合ってくれと言われるが直子のことがあり態度を保留しているが、綠と直子の間に直接な交渉はない。この作品構造に私は初めは不満であったが(綠と直子の間に直接の交渉があったほうが作品全體に膨らみが出て面白くなると考えた)、直子ー僕ー綠の関係はそれぞれの女の子から僕自身がどのようなアプローチを受けたがが重要なのだと解釈した(実はこれは僕とハツミさんの関係についても言える)。ここから考えられるのは、僕が綠と関係を持つことで直子の持つ「死」の要素に巻き込まれなかったと解釈できるのではなかろうか。

つまり僕が直子と接觸を保ちながら生き延びるためには綠という存在が必要不可欠であったのだと考えられるのである。直子が自殺した後で「僕」は綠に**をかけ「どこでもない場所の真ん中から綠を呼び続けていた」のである。これは直子が自殺したことで僕を襲ったクライシスから逃れるために綠に連絡を取っているのであるが、ここで物語は終わっている。

「僕」は綠に救われたのである。

まとめ、そして新たなコメント(2006/12/2)

短編 「螢」をほぼ完全な形で含んでいる長編**であるが、「螢」から発展した形で物語が進むため、「螢」で提示した解釈もいくつか変更を受けた。もっとも大きな変更が直子の精神病に関する點で、「螢」では友人の死が打撃になり引き金になったと考察したが『ノルウェイの森』では初めに直子の要素がキズキに死の少なくとも一因であると考察し、直子自身が有する「死」の要素(=遅かれ早かれいずれ出てくる、不可逆的に自分自身を破滅させる要素のこと)を中心に物語がすると考えた。この「死」の要素が直子自身を消滅させ、キズキを失望させて自殺させたのである。

そして直子と対局にある女の子「綠」により「僕」は直子を捕えていた「死」から逃れられたと解釈した。直子がもはや回覆の望みがない入院をしたことは「螢」でも暗示されているが、その原因をどこに求めるのかが「螢」と『ノルウェイの森』ではこのように食い違いが出てきたのは面白い。『ノルウェイの森』では直子のプロットがより鮮明に描かれており、ある意味では解釈は容易であった。

この物語の18年前の回想部分の中心は直子が自殺するまでの不可逆的な混亂を描き、直子は結局外部からの何人の手によっても救済されなかったことである。そしてハンブルグ空港に到著する直前の「僕」の回想部分の中心は、18年前の直子と現在の直子(=「僕」の記憶の中で薄れていくが故によりいっそう深く理解できるようになった直子)を比較することで彼女が僕を愛してすらいなかったこと、そしてそれはもう取り返しのつかないことに気が付くことであろう。「螢」と比べ、「僕」の哀しさはより一層大きい。

田中実氏が指摘しているように、村上文學の多くは死んだり消えたりしたかっての戀人や女を探しに出かける旅であると考えるのは面白い。この視點に沿って村上**のいくつかを解釈してみるとなかなか面白いと思う。『ノルウェイの森』の初めの部分に、直子が井戸について言及する場面がある。

その井戸は『ねじまき鳥クロニクル』に登場するし、河合隼雄と村上春樹の対談集(紹介文はこちら)にも登場し、何らかの共通したイメージを示していると思われる。今後は作品をまたいで共通しているアイテムに著目した解釈を試みるのも面白いかもしれない。

『ノルウェイの森』の2年前に書かれた長編**、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、語り手は現実世界パートの「私」と世界の終わりパートの「僕」に**して描かれる。そして、「私」は図書館の女の子、博士の孫娘と別れて」意識の核」へと旅立ち、「僕」は」街」の中で図書館の女の子と一緒に留まることを選択する。」意識の核」への旅立ちは外的な圧力(=博士が施した措置と、組織と工場の間の闘爭)による必然であり、後者は「僕」自身の意志によるものである。

この、「僕」の意志が発動されるくだりは「僕」の再生をイメージし、『ノルウェイの森』におけるラスト・シーンと同様、クライシスからの脫出だと解釈できる。

原文找不到了,只有這個解析....希望能幫到你

挪威的森林讀音,挪威的森林日語怎麼說?發音

nu w i de s n l n 挪威的森林 是日本作家村上春樹於1987年所著的一部長篇愛情 故事講述主角糾纏在情緒不穩定且患有精神疾病的直子和開朗活潑的小林綠子之間,了自我成長的旅程。挪威的森林日語怎麼說?發音 森 noruwei no mori 森 你怎麼看待 挪威的森林 中的直子和綠子兩個...

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不知誰有《挪威的森林》,上海譯文出版社的,林少華譯。發給我

我有 可惜電腦上刪了 給你乙個連線自己去下吧,村上的全部作品還有意境 都有 我也是村上公尺 挪 百看不厭,某日索性買了一本 枕邊書啊 送給女朋友了。有沒有 挪威的森林 txt格式的 中文版的 林少華翻譯的 發到601024047 qq.com 謝謝 你好 已經傳送 請注意查收 收到請採納下 傳送人 ...